お越しくださりありがとうございます。
このブログでは、自分の思いに素直に、シンプルに、「私らしく生きる」ことを応援しています。
今回は、エネルギーが落ちてしまい今という時間が辛く感じている時に、これを読んでくださる方の心が少しでも軽くなり前を向いていけるように、願いを込めながら神社での体験をお伝えします。
しばらくの間、とても辛かったんですね。
しんどいな、と思っていました。
けれど、あることに気づいた瞬間から変わりました。
それはとてもやさしい時間でした。
落ち込むことなど誰にでもあると思います。
がっかりすることも悲しいことも、嬉しいことも楽しいことも日々普通にあります。
しかし突然、
悩みが深くなり、とても辛い気持ちから抜け出せなくなりました。
そうなってしまうと、どこにも意識の焦点を合わせられず、何も耳に入ってこないのですね。
心がなかなか戻ってきませんでした。
当時は無意識のうちに理想の自分であることにしがみつき、「こんなはずじゃなかった」などと、思ったようには進まない現実に対して無駄な抵抗を続けていたようです。
今思えば、それは全部自分が自分にかけた呪縛です。
あるいは、周囲に流れる情報やあらゆる人から受けた影響からの勝手な思い込みです。
無駄な抵抗を続ける程、理想とはかけ離れた「今」そして「自分」を忌み嫌い、心の傷が深くなるだけなのに、それには全く気が付きませんでした。
何とか抜けようともがくから、ますます落ち込んで自ら不安の渦に絡まっていくような状態でした。
それがずっと続くような気分になり、「もう嫌だ」「ダメだ」と思い落ち込みました。
しかし、それでも何とかして前を向きたい自分は、僅かながら身体の何処かに残っていたようです。
「神社に行こう」
ふとそう思いました。
何かに導かれるように、ある神社に向かいました。
この7年間、1年の始まりには挨拶に出向き、節目でアドバイスを頂き、ずっとお世話になり続け親しんできた場所です。
その自然に囲まれた神聖さが大好きでした。
丁寧に掃き清められた空間に足を踏み入れると、呼吸をする度に意識が少し変わります。
清浄な空気に包まれ歩いていると不思議と自分の心も整い始めます。
ふと、木々の間に空から光が射し込んでいるのが目に入りました。
光の筋がはっきりと見えます。
何となくそこに行きたくなり、私は参道から横にそれて歩いて行きました。
そして、光の降りている空間に辿り着き、差し込んでくる光線に包まれ空を仰いでいました。
すると、
急にサワサワと音がして、細かい雨が降ってきたのです。
急に雨が降り始めたのかと思いましたが、雨粒とは違います。
不思議に思い辺りを見回したのですが、周囲に雨が降っている気配は全くありません。
小鳥のいたずらで朝露が落ちてきたかとも思い木々の枝をよく見ても、そのような様子は見られません。
光の柱が降りて来る半径1メートル程の小さな空間だけに、サワサワと細かな霧が降りてきているのです。
霧のようなミストが降り注ぎ、空間をやさしく包んでくれます。
癒しと浄化を身体中に浴びながら、その場に佇みました。
「どんなに辛い時でも守られている」
そんな感覚が芽生えました。
ただ何となくですが、誰かにそう言われているようでした。
「人は皆、守られている存在なんですよ」と知らせてくれているように思えたのです。
涙が込み上げました。
気づけば幸せがたくさんありました。
大きな幸せも小さな幸せも。
人生にはいいことが起こりますね。
今までもこれから先も。
え?
ということも無くはないですが、私の存在はそれとは別に「今」「ここ」にあって自分の意思で在り方を決めていい。
人生の先は自分で選び創り出すことができるのですね。
「幸せになる」
「幸せを選ぶ」
そう決めたらいい。
人はどんな時でも本当に、誰かに、何かに守られていますよ。
たとえ見えなくても、やさしさに包まれています。
静かな気持ちでいると、そのサインを受け取るかもしれません。
心が沈んだときは思い出してくださいね。
理想通りでない自分もここに居ていいし、ありのままの自分の全てを受け容れて大切にしてあげてくださいね。
守られているから大丈夫。