お越しいただきありがとうございます。
「私らしく生きる」を応援したくて書いているブログです。
今日は、自分に新しい価値観が生まれ、生き方が変わったときのある出来事について書いてみます。
自分にはないもの、足りない部分、ダメなところばかりが気になっていた頃、自分の弱さを乗り越えるきっかけとなった経験です。
視覚で捉えたこと(風景)から意識が大きく変わり、人生を新たに進む転機がくることもあるんだなと、改めて思い起こしています。
良かったらお付き合いください。
海へ
ある日、ふと朝の海が見たくなりました。
水平線から朝陽が昇るその瞬間を見たい。
そう思い立った私は、翌日早起きをして出かけることにしました。
まだ暗く車の通りも殆どない道を「日の出の時刻に間に合うかな・・・」など考えながら運転していきました。
時々大型のトラックとすれ違い、暗い中ライトを照らしながら走り去っていくその存在感に圧倒され、緊張も味わっていました。
予定通り海に着くと、夜明け前のまだ薄暗い海は闇の世界から変容していく最中でした。
真正面から向き合うのが少し怖く感じるようでもありました。
ひっそりとした佇まいながらジリジリと姿を変え、息をひそめていた夜行生物は何処かに姿を消し、代わりに何かがゆっくりと目覚めていくような不思議な時間でした。
その海には何度も行ったことがありました。
潮風に吹かれてみたくなったとき
海の朝日を浴びたいとき
何もかもリセットしたいとき
当時の私は新しい土地に引っ越したばかりで、人も街も風景も、何だか全てがよそよそしく感じとても孤独だったんですね。
もともと少し変わり者で、同調するのが苦手だし、心にもないことを言うのも言われるのも嫌い。
そして、人というものを信じていなかった。
だから、目の前に広がる青い海を見ると、些細なことに拘る自分が馬鹿らしく思え、心がふと解けるような気がしていました。
遥か彼方にどこまでも続く大きな海に包まれ、素のままの本当の自分をまるごと委ねる安心感。
海の青が白く砕けしぶきを上げる光景、寄せては返す波のリズムと果てしなく続く波の音・・・海から吹く大自然の浄化の風を身体いっぱいに浴びていると、頭の中の雑念も耳に残るノイズも洗い流されていきます。
毎日の喧騒の中で溜まっていく心の澱み、未来の不安や過去の絶望、不信感や猜疑心、小さなわだかまりや悲しみまでも、要らない思い全てが流されていく・・・絶え間なく寄せては返す波に、何度でも砂浜が更地に塗りかえられるように。
海はいつでも力強く、ちっぽけな私に生きる勇気を与えてくれました。
ぼんやりと考えごとをしていると、朝日が昇る時間になりました。
出会い、変化する
海からひと度姿を現した太陽は、瞬く間に水平線を離脱していきます。
私はその瞬間を胸に刻みたかった。
そうすると何かが変わると思っていた。
息をこらして佇む数分間の始まりです。
その日見た朝の景色は意外なものでした。
目に焼きつき、今でも記憶に残る忘れられないワンシーンとなっています。
朝日が昇る瞬間、
そこには一面白い霧に包まれたような不思議な光景が広がりました。
吸い込まれそうな白い世界に畏怖の念を抱きながら私は太陽が昇るのを見ていました。
水平線がありません。
海も空も霧に包まれ天地が白く続いています。
そこに何処からともなく美しい太陽がぼんやりと姿を現し始めたのです。
地球と空の境目が消えている。
それを見たとき、こんな思いが浮かびました。
「良い」か「悪い」か、とか
「できる」か「できない」か
「正しい」か「間違っている」か
「正義」か「悪」か。
そんな風に比べることでつくられる価値のもつ意味って何だろう?
私はどうして分けようとするの?
何故分けて考えているのかしら?
境界線は一体誰が決めたのかしら?
物事の真価って、それぞれの人が「心」で感じることだから人それぞれに違うよね。
本当に大切なことって、ジャッジし分けて考える価値とは別物かもしれないね。
それならいっそ、
心から沸き起こる想いに委ねてみたらいいのではないかしら。
人生の旅をして模索しながら自分で見つけていけばいい。
「それが好きだから」
「心からの願いがあるから」
「本当に大切だと思うから」
本心からの想いで未来を創ってみたらどうかしら。
比較でつくられた価値基準に囚われるよりも、心が本当に求めていることを見つけていく生き方の方が私には心地よい。
価値観が新しく創られる
これまでの私は、
自分を決して認めず、比較し、批判し
結局は自分で自分の自信を奪いダメにしていました。
人をジャッジして人も自分も傷つけていた。
分けることも、そしてまた分けられることもなく、自分として今ここにあり続ければいいだけでした。
「ジャッジしない」
「比べない」
これまで何度も耳にした価値観でした。
分かってはいたけれど深く理解して心に落とし込むことはできていませんでした。
「分ける思考」や「分ける価値観」を塗り替えて境界線を越えよう。
水平線が霧に包まれた朝の海の光景と私の思考が出会ったとき、やっと目が覚めて新しい自分が創られました。
いつどのような出会いがあり、何処でどう気づくかは本当に分からないものですね。
これを書いている今も、私は分けない感覚を100%体現できている訳ではありません。
しかし、あの朝の海の光景と出会ってからというもの、何かの折に振り返れば必ずそこには「分けない」という感覚が心の故郷のように待っていてくれます。
例えば、素晴らしい話を聞いたとしても、すぐに理解するのは難しいです。
分かったような気がしても、限られた経験の中での気づきにすぎません。
それでも、分かりたいと願っているといつしか本当の理解と出会うときがくるようです。
全てはベストのタイミングで導かれいくから大丈夫みたいです。
自分への信頼を心の片隅にそっと置いておく、それだけで充分なようですよ。
最後までお読みくださりありがとうございました。
あなたの心がいつでもやさしさに包まれ、
温かな未来を創りながら心地良く過ごせますように。