お越しくださりありがとうございます。
「私らしく生きる」ことを応援したいので書いているブログです。
今日は、最近経験していることをシェアしますね。
言葉に込められた思いは伝わります
私たちは日々、たくさんの言葉に出会います。
挨拶、雑談、討論、伝達、等々。
感動も共感も主に言葉を介してやり取りします。
やさしい言葉、励ましの言葉、癒しの言葉、分かってもらえた・・・と思わせてくれる言葉etc.
こうしてほしいのになぁ・・・と自分の思いを言葉にして伝えるのは、なかなか難しかったりしますね。
ちょっとした言葉が刺さることもあります。
何気ないひと言にホッとすることもあります。
色々ですね。
さて、こんな経験はありませんか?
自己否定をして潰れてしまいそうなとき、
非難をうけてもう立ち直れそうにないとき、
精神が壊れそうなとき、
低迷、停滞、どん底……。
そんなとき
「あなたのこういうところがいいと思う」
そんな声をかけられたらどうかしら。
本当に真心からの言葉は心に響いて胸が熱くなります。
どんな気持ちで言ってくださったのか・・・何となく伝わります。
分かるものですね。
時には涙が出るくらいね。
言葉の本質が伝わるのかもしれません
短い文章でも長文でも、そこに込められた想いが心に染み入るように溶け込み、新たな情熱や希望や感謝など、内側の深い所から静かな情熱が湧いてくるようなことがあります。
込められた想いの純度がそうさせるのか、あるいは相性なのかまたはタイミングなのか、自分が何故そのような感情を持つのか、私には説明が難しいのですが。
しかし、受け取った言葉に込められたものが「本当の真心」「真実の想い」と感じると、私の心が動きます。
今はこれだけ。
反対に、
「あれ?」「何かが違う」と違和感を感じると、それはどこまでいっても腑に落ちることはなくて、疑問が残り続け、どんなに頑張っても実は納得できないのです。
相手を本当に思ってのことなのか、それとも優しさの中にちょっぴり自尊感情を満たすための気持ちも混じっているのか、僅かであってもその違いは歴然としていて受け取る内容が全く違ってくると感じるのです。
自尊感情を満たして満足感を味わうのってダメじゃないの? とは考えていなくて、自尊感情を満たすことはやはり大切だと思います。
自分を幸せにすること(特に自分の本心に耳を傾けて受け止めること)は大切だと思うし、自分の本当の想いを知っていくのが好きなのです。
ただ、自分を満たすために他者を利用したり「自分の方がすごいぞー」と力を見せつけて優越感に浸るような感じが漂ってくるのは苦手。
人ってそもそも対等で1人ひとりは唯一無二の存在と思っているので飲み込めないんですね。
受け取るものは自分で選んで全然オッケー
毎日毎日様々な情報、言葉、現象が飛び交いますが、それに一喜一憂していると疲れるだけで残るのは疲労感と重苦しい気持ちくらい。
大して意味はないんじゃないかなと思ってしまいます。
自分に「響いたこと」を大切にしていたらより幸せであたたかい気持ちでいられます。
「受け止めるのも受け流すのも自由。」
そういう感覚で生きている自分が今は心地良いので、受け取るものを選びつつ爽やかに過ごそうと思います。
「向き合う人と共に、心から安心できる今を創る」
そんな在り方に巡り合えた幸運に感謝し、ハッピーを堪能中です。
< まとめ >
それが事実なのか、思い込みが引き起こした妄想や幻想なのか、あるいは何か作為的にもたらされた枯渇感や不安感なのか、少しずつ分かるようになっているのだと思います。
様々な人との出会いが私の思い込みを少しずつ変えてくれました。
そして今の自分にようやく出会えたんですね。
心から「嬉しいなぁ」と思います。
だからいつでも「感謝」なのです。